うちの娘は酒飲みになるぞこりゃ。
残念ながら私はアルコールに弱い。カクテル一杯で顔が真っ赤になるし、大量にはとても飲めない。そして父と晩酌したことも殆どない。成人してからは。
私が人生で初めてアルコールを口にしたのは小学4年生だった。お正月のお屠蘇は毎年用意されていたが、口をつけるだけにしなさいと母に言われていた。お酒だからねと。
その年、初めてごくんと飲み込んだ。味はよく覚えていないが、飲めなくもないと思ったのだと思う。頑張れば飲める味。小学生らしい方向性を間違えた溢れる自信が、私に言わせたのだ。「え、美味しい!もっと飲みたい!」
父は喜んだ。大層喜んだ。
もともと枝豆や乾き物が好きだった。父の晩酌のお供を強請り、美味しい!と喜ぶと父はいつも言ったのだ。
「りーは酒飲みになるぞ。こりゃ。こんな小せぇうちからつまみばっか食べてら。こりゃ立派な酒飲みだ。」そして豪快に笑う。あぁ、私も嬉しい。立派な酒飲みにならなくちゃ。
一口飲めて何にも無いならと、時々梅味のお酒を飲ませてもらえた。ビールは苦くて美味しくなかった。お酒は二十歳になってからだから、コップ一杯だけ。母は下戸で、弟は頑なに断ったので私が父と晩酌した。大人になったら沢山飲もう。
中学校の理科の時間だと思う。本来は何の単元だったのか全く思い出せないのだが、「アルコールを含ませた脱脂綿で腕の内側を撫でて、赤くなったらお酒に弱い可能性があるから大人になって気をつけろ」というような授業があった。
明るい声の弾む教室で、私は落ち込んでいた。赤くなった左腕。一体どうしてこんなことに。私は立派な酒飲みになる運命なのに。いやいや、諦めるのはまだ早い。大人になったら体質が変わるかも。それに先生の言うことは嘘かもしれないし。なんたって私は立派な酒飲(略)
それから。程なく控え目な反抗期を迎え、受験し高校生活を過ごした私が再びお酒を飲んだのは、大学生になってからだ。気の置けない仲間たちや恋人と飲む時間は楽しかったが、やはり「頑張って」飲んでいた気がする。更年期に片足突っ込んだ今となっては、お水が一番美味しいと思っている。わー健康的。それでも。
私は大酒飲みになりたかった。
あぁ、なりたかった。