ことば怪獣の娘~お父さんはアスペルガー症候群(多分)

アスペルガー症候群(多分)の父親を持つ私が、もっと楽に生きるにはどうしたらよいか考えるブログです

運動が苦手な娘が運動会について父親に相談してみた話

小学生のりす「お父さん。明日の運動会なんだけど、私ちょっと嫌なんだ。走るの遅いから。」

 

父「俺は走るの速いぞ。俺はな。だから俺は運動会嫌だななんてこと、一度も思ったことないぞ。俺はな。速いから。」

 

りす「うん。

(えーと、なんて言えば分かってもらえるかな)」

 

父「俺は走るの速かったからよ、そんな風に思ったことは一回もないな。うん、一回もない。なんたって俺は走るの速いからよ。」

 

りす「うん、でも私は遅いからちょっと嫌だし、ビリになっちゃうかもって不安なんだよね。」

 

父「そうかぁ~?それは分かんねえな。俺は遅かったことないからよ。走るのはずっと速いから。なんたって。うん、間違いねぇ。俺はな。りすのことは知らねえけどよ。俺はほら、走るのは速いからよ。」

 

りす「(えーと、えーと)そうなんだ。何か速く走れるコツとかあるの?」

 

父「コツ?そんなもんはねぇな。ただ速く走るだけだから、簡単だろ。ま、俺は速いから走るの。なんたって。まぁ、頑張って走るだけじゃねえの?違う?そしたら速く走れるんじゃねえの?そんな難しいこと考えねぇでよ。ただ。ほら、走るだけだよ。なんたって俺は走るの速いからさ。」

 

りす「そうなんだ。わかった。」

 

父との会話は大体いつもこんな感じです。

 

私が父をアスペルガーだと思うに至るまでのあれこれ 1

昭和の終わり頃に生まれた私は、両親と弟の四人家族。すごーくお金持ちではないけれど、すごーく困る訳でもない生活。極々一般的な家庭。

 

成績は良かった。運動は苦手だった。小学生の時から肥満傾向。地元の中学校を卒業し、高校大学を経て、就職と共に一人暮らし。何年か勤めた後、大学時代からの恋人と結婚して、パートタイムで少し働き子供に恵まれたので主婦/お母さんになった。

 

私の枠組みは、非常に平凡でどこにでもありそうな話。でもその内側は?

 

アラフォーの今振り返ってみると、私の内側には悲しみや苦しみや虚しさがぎっちぎちに詰まっていたのだが、それでも日々いくつかある嬉しいこと、楽しいことでなんとか自分を奮い立たせていたようだ。

 

もう少し私の話。数年前敏感な人に関わる本を読んだ。今は大分知られるようになったHSPという気質。子供の頃からそうだったのだが、私は自分のことを欠陥品だと思っていた。皆みたいに出来ない。皆みたいに強くない。すぐ疲れる。すぐ休む。自己否定の嵐。そんな私を家族は温かく包んでくれた、りする訳ない。

「りーは繊細だからwww」

「私は気にしないよ?」

「俺はまーったく気になんねぇのによ」

りーは繊細だから・・・

面倒くさい?

手が掛かる?

繊細でごめんなさい。弱っちくてごめんなさい。

 

色々と内面の葛藤を抱えながらも、なんとか大人になった。独立心が異常に強かったので、一人暮らしをすること、実家を出ることが私の生きる目標だった。

 

有り難くも人生の伴侶に恵まれ、子供が生まれた。初めての子育てに奮闘するなか、私は混乱し不安定になっていった。

 

どうしよう。

本当にもう無理かもしれない。

 

 

続きます

 

 

うちの娘は酒飲みになるぞこりゃ。

残念ながら私はアルコールに弱い。カクテル一杯で顔が真っ赤になるし、大量にはとても飲めない。そして父と晩酌したことも殆どない。成人してからは。

 

私が人生で初めてアルコールを口にしたのは小学4年生だった。お正月のお屠蘇は毎年用意されていたが、口をつけるだけにしなさいと母に言われていた。お酒だからねと。

 

その年、初めてごくんと飲み込んだ。味はよく覚えていないが、飲めなくもないと思ったのだと思う。頑張れば飲める味。小学生らしい方向性を間違えた溢れる自信が、私に言わせたのだ。「え、美味しい!もっと飲みたい!」

 

父は喜んだ。大層喜んだ。

 

もともと枝豆や乾き物が好きだった。父の晩酌のお供を強請り、美味しい!と喜ぶと父はいつも言ったのだ。

 

「りーは酒飲みになるぞ。こりゃ。こんな小せぇうちからつまみばっか食べてら。こりゃ立派な酒飲みだ。」そして豪快に笑う。あぁ、私も嬉しい。立派な酒飲みにならなくちゃ。

 

一口飲めて何にも無いならと、時々梅味のお酒を飲ませてもらえた。ビールは苦くて美味しくなかった。お酒は二十歳になってからだから、コップ一杯だけ。母は下戸で、弟は頑なに断ったので私が父と晩酌した。大人になったら沢山飲もう。

 

中学校の理科の時間だと思う。本来は何の単元だったのか全く思い出せないのだが、「アルコールを含ませた脱脂綿で腕の内側を撫でて、赤くなったらお酒に弱い可能性があるから大人になって気をつけろ」というような授業があった。

 

明るい声の弾む教室で、私は落ち込んでいた。赤くなった左腕。一体どうしてこんなことに。私は立派な酒飲みになる運命なのに。いやいや、諦めるのはまだ早い。大人になったら体質が変わるかも。それに先生の言うことは嘘かもしれないし。なんたって私は立派な酒飲(略)

 

それから。程なく控え目な反抗期を迎え、受験し高校生活を過ごした私が再びお酒を飲んだのは、大学生になってからだ。気の置けない仲間たちや恋人と飲む時間は楽しかったが、やはり「頑張って」飲んでいた気がする。更年期に片足突っ込んだ今となっては、お水が一番美味しいと思っている。わー健康的。それでも。

 

私は大酒飲みになりたかった。

あぁ、なりたかった。

 

 

 

 

 

 

 

私の知る父性

自分に子供が出来て驚いたこと。

父親は子供を守りたいらしい。

 

雷や節分の鬼に怯える我が子へ、夫がかけた言葉に私は衝撃を受けた。

曰く「鬼が来ても、お父さんがやっつけるから大丈夫だよ。お父さんとお母さんがお前を守るからな。」そう言って小さい体を抱きしめるのだ。ドラマの演出かと思った。

 

違う違う。こんなの作り物だ。

 

「うん、そんなんじゃ鬼に喰われちまうな。だから良い子にして、賢くしてねぇと。鬼に喰われるな。うん。悪い子じゃあ、なぁ?仕方ねぇよな。喰われても。うん。」

 

 

そうだ。私が知る父性はこれだ。

 

オオカミ人間や人食い妖怪、魔女や鬼の話。夜ごと紡がれる昔話は、幼いながらに私の未来のようだと思った。

 

私が何か大きな失敗をしたら、本当はオオカミ人間の父や、本当は山姥の母に食い殺されると思っていた。

 

物語の主人公たちは知恵や勇気で機転を利かし、ピンチをすり抜ける。大変素晴らしいのだ。生きる力よ、ビバ!レジリエンス

 

私には出来そうもないと思った。というより、私には無理だなと思った。自分がピンチをチャンスに変えられるなんて思えなかった。そんな自信は生憎育まれてはいなかったのだ。だから、自分より大きい人たちの逆鱗に触れないように、機嫌を損ねないように。そうして細々頑張ろうと決意した。良い子にしていたら、生かしておいてもらえるかもしれない。食べるのをやめてくれるかもしれない。

 

 

夫の真似をして幼い我が子を抱きしめる時、私の心は静かに沈んでいく。諦めの暗がりの中で震えるかつての私をいくら抱きしめるイメージをしても、小さなその子は微笑まない。欲しいのはこの腕ではないことはわかる。でもどうしたらいいのかわからない。

 

犬になる父親

私の古い記憶。父と弟と遊んでいた。父はよく馬になってくれた。二人で代わる代わるその背に跨がる。ヒヒーンと馬の真似をする父は上機嫌で、みな笑顔だったと思う。楽しかった。と思う。ある時までは。

 

誰が言ったのだろうか。私だったのか?「今度は犬になって。」犬は背に誰も乗せない。ただワンワンと鳴くだけだ。父は犬になることを楽しんだ。私たちも「パパが犬になっちゃった!」と喜んだ。キャッキャと笑う子供二人。よい観客だ。気持ちが乗ってきたのか、唸り声をあげだす犬。最高の演技。舞台は止まらない。

 

ただ吠えるだけの犬にも飽きた。違う遊びもしたい。弟も少々戸惑って居るように見える。私は言った。

 

「パパに戻って」

 

私の魔法は効かない。ワンワンワンワン。もうそれを辞めて欲しい。元に戻って欲しい。弟と二人で必死に訴えた。パパ!どうしたの!パパ!もうやめて!パパに戻って!それでもずっと狂ったように吠え続ける犬。私の父親だった人は楽しそうに笑っていた。私がいけないんだ。私が遊ぼうなんて言ったから。

 

泣き出した子供たちの声に、台所仕事をしていた母親が駆けつけてくれた。母に怒られたた父が何と言っていたかは思い出せない。ただ本人に悪気はないことは分かった。

 

このエピソードを大人が語れば、「子供たちと遊んでいたら、楽しくなっちゃってちょっと悪ふざけしすぎちゃったお父さんでした。ごめんごめん。てへ。」かもしれない。でも忘れていたこの記憶を思い出した私は、号泣と過呼吸に苦しんだ。

 

私はこのことを謝って欲しい訳ではない。でも、無かったことにもしたくないのだ。こんな経験が山ほどある。それがこのブログを始めた理由である。